「静」と「動」 (ことのは の 響き)
- Day:2012.08.15 07:31
- Cat:日記

*ありんこくらぶ小学生の授業・より 撮影・奥倉 賢二
優れた才能には たぶん誰よりも多く出会った。 一般的な天才と呼ばれた人々だ。
でも、誰がその才能を評価しなくとも、その方の生き方やしぐさが
あまりある才能を目の前に感じさせる場合はどうだ!
本当の才能は、目の前の一瞬にある。 そして失われる。
しかし、深く心に刻まれる。 記録さえすれば有る程度「情報化」できる時代になった。
とても、全部では無い! ほんの少しでも。
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ボストンにある大学の先生にどうか、といわれたとき
東京芸術大学の学長が推薦文を書いてくださった。
そのとき僕は先生に質問された。
「君が日本にいなくなったら、日本の子供達はどうすればいいんだい?」
「あっつ!・・・」 肝心なことに気が付かなかった。
そのとうりだ、・・・・・ 僕は深く反省した・・・。

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ハーバードの話が有った時に、僕が最初に行ったのは
表千家の茶道の師範のところだ。
僕は反省した。
日本画を描き、陶芸で茶器を作り 剣道の稽古してきた僕に 最も足りなかったのは
この 「限りない静寂」を味わう こと だったと。
そして、気付いた。 僕の妻が幼い頃から してきた 修行は
本物であったことに・・・ 彼女は「静寂」の天才なのだ・・と

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生まれながらに人には「動」と「静」をもつ者があるとするなら、自分に本来無かった
才能に気付き、磨いてゆくことを「修行」と呼んだのかもしれない。
「動」と「動」は 「呼び合う」
「静」と「静」は 「響き合う」
「静」と「動」は「尊敬し合う」・・・・
